産後うつになったらどうなるのか?産後うつの経緯から回復に至るまで 体験談から
産後うつという言葉を知っていますか?
出産後は授乳やおむつ替え、寝かしつけなど日々のお世話に追われる毎日になります。
初めての赤ちゃん、右も左も分からないまま育児が始まりました。今日は産後うつになった経緯と原因、回復するまでの道のりを私の経験談を基に記事にしました。
産後うつになった経緯
産む前は初めての出産、子育てをとても楽しみにしていました。
ベビー用品を見てはかわいい洋服がいっぱいあって産まれてくる赤ちゃんをイメージしながら幸せいっぱいな気持ちでした。
育児雑誌を読んでもキラキラした世界で早く産まれてこないかなぁなんて思っていました。
初めての出産で里帰りすることも考えましたが、母親が他界していなかったため実家に帰らずに出産しました。
産まれてからは叔母が1カ月ほど手伝いにきてくれるとのことだったので、安心して元気な赤ちゃんを産むことだけを考えていました。
育児雑誌には赤ちゃんと一緒にいれて幸せと書いていましたが、実際に産まれてからのギャップに驚きました。
先輩ママからは最初の1週間は病院に入院できるからゆっくりできるよ!しっかり体を回復させてねー!なんて言われていましたが
育児は休む時間がない!24時間ずっと赤ちゃんに気を向けてないといけない状態でした。
おっぱいもあげたし、おむつも変えたのにずっと泣いていました。
泣いている理由が分からず、よくナースコールを押していました。
看護師さんも「おっぱいが出ないからミルクを少し足そうか」と言ってくれたのでミルクを足すようになりました。(ミルク推奨の産院でした。)
叔母は退院してからこちらに来ると言っていたので日中は赤ちゃんと二人っきり。(個人に小さな産婦人科だったので入院していたのは私を含めて二人しかいなかったためお友達になることもありませんでした。)
夜には会社から戻った夫が来てくれたのですが、仕事で疲れているため短時間しかいれませんでした。
産まれてからの最初の1週間は本当に大変でした。
おっぱいをあげても、ミルクをあげても、おむつを替えても泣いていたのでどうしていいか分からず気づいたら私の方が泣いていました。
看護師さんも常に忙しそうにしているので、日中は頼る人がおらず泣いているいろちゃんをずっとあやしていました。
パパが帰ってきてから「いろちゃんを育てるのが辛い。何をしても泣き止まない。」と言っていたのを今でも覚えています。
この時から知らず知らずのうちに追い詰められていたのだと思います。
病院で入院している間はゆっくり休めると聞いていたのですが、むしろ私はその逆で早く退院したい!と思っていました。
待望の退院日。やっと夫がいる家に戻れるととても嬉しかったことを覚えています。
その日からは日中は叔母が手伝ってくれ、夜にはパパとの子育てが始まりました。
日中の家事は叔母がやってくれたのでとても助かりました。また夜はパパがいたので落ち着いて子育てをできるようになりました。
病院にいるときより家に戻ってからの方が私の精神状態は落ち着いていたので、いろちゃんも病院にいるときよりはあまり泣かなくなりました。
ママの気持ちって赤ちゃんに移るって本当なんですね。
叔母が来てくれてから1週間がたった頃、私も叔母もストレスを感じるようになっていました。
叔母は慣れない家で気を使ってから疲れていたのだと思います。
私も実の母親ではないので何をするにも「ありがとう」と声掛けをして気を使っていました。
叔母の存在は今思えばとてもありがたい存在だったのですが、当時は初めての子育てで余裕もなかったためストレスに感じることもとても多かったように感じます。
そのせいだったのか叔母は1カ月手伝ってくれる予定だったのですが、退院してから3週間ほどして家にもどってしまいました。
こんなこと言ったら失礼ですが正直ほっとしました。
叔母が帰ってからパパとの二人子育てが始まりました。
帰った日は金曜日で土日はパパがお休みだったので育児用品を買い物したりと気分転換に外に出かけてパパとの二人で子育て楽しい!幸せだな!なんて思っていました。
土日が終わり月曜日!
いよいよいろちゃんと二人での生活が始まりました。
最初は気合を入れて頑張りました。
パパはいわゆるイクメンで家に帰ってくると赤ちゃんのお世話だけではなく、私のケアまでしてくれました。
今でもそれは変わらずパパと結婚してよかったと思っています(のろけでごめんなさい)
しかし日中は泣かないで…と恐る恐るお世話をしていたのでその気持ちが赤ちゃんに伝わったのかいろちゃんはよく泣いていました。
なにをしても泣いていたので日中は一緒に泣いていました。
引っ越し先でお友達もいない
親もいない
頼れる人もいない
という状況だったのでどんどん追い込まれていきました。
パパが帰ってきてからも「辛い」と言って泣いていたので
パパも仕事のストレスと育児のフォローとで追い込まれていたのではないかと思います。
夜間は授乳で睡眠不足でした。私の場合、ミルクとの混合だったので私が授乳している間にパパにミルクを作ってもらっていました。
この行動だけで30分はかかっていたと思います。これを夜間に2回、多い時は3回していたので夜の睡眠時間は2時間から3時間だったと思います。
またいろちゃんは日中よく泣いていたので一緒にお昼寝もできませんでした。
これが積み重って不眠になり精神状態はどんどん悪くなっていきました。
産後うつのはじまり
授乳は幸せな時間だよと先輩ママに聞いていたのですが、私にとって授乳の時間は地獄でした。
ほんとは母乳をあげたいのに出ないくていろちゃんが大泣きするので諦めてミルクをあげていました。ミルクを作っている間はいろちゃんは大泣きです。
ミルクをあげているとき、いろちゃんは幸せそうにごくごく飲むので「なんで、どうして」と泣きながらミルクをあげていたのを覚えています。
母乳が出る方法をネットやブログで調べては試してみたり、母乳マッサージも行きました。それでも母乳は出ませんでした。
今考えればここまで精神状態が落ち込むのであれば完全ミルクに変えたらいいのにと思うのですが、当時は初めての子育てで何もかも分からなかったし、何事も全力投球でいろちゃんと向き合っていたのだと思います。
いろちゃんと全力投球で向き合っていった結果
不眠
外見に気を使う余裕もない
育児以外は何もやる気が起きない
髪の毛がたくさん抜ける
謎の腹痛
とストレスによって精神状態以外にも身体にも現れるようになりました。
何をするにもうまくいかない、だれも頼る人がいないとブルーな気持ちがどんどん湧き出てきました。ついには「死にたい」と思うようになってきました。
この時はパパのスマホに電話をかけては「いろちゃんと一緒に死にます」と言って困らせていたことを覚えています。
唯一パパだけは私の気持ちを理解してくれ、フォローしてくれました。
これが産後うつを進行させなかった一番の理由だと思います。
いろちゃんが産まれて3か月を過ぎたころようやくまとまった睡眠をとってくれるようになったり、無表情だったいろちゃんが笑ってくれるようになったりと育児について前向きに向き合えるようになってきました。
産後うつが回復するまで
〇一番はよき理解者(パパ)がいたことです。なにがあっても私のことを第一に考えてくれフォローしてくれました。
〇いろちゃんがまとまって睡眠をとってくれるようになりました。そのおかげで私も少しずつ眠れるようになってきました。何をするにも睡眠がとても大事です!
〇いろちゃんが笑うようになった。今までいろちゃん無表情だったいろちゃんが笑うようになってくれました。辛い辛いと感じていた育児も笑顔が出てきたことによって穏やかに育児ができるようになったのかと思います。
〇外に出る
赤ちゃんが風邪をもらってきたらよくないと生まれて2カ月は家にこもってワンオペ育児をしていました。
その結果、日中は誰も話す人がおらずマイナスな考えを持つようになってしまいました。
3カ月になる前に外に出るようになり、気分転換をしていました。外の空気や日光を浴びることで私も赤ちゃんも気分転換になっていました。
また外に出るとおばちゃんから「赤ちゃんかわいいわね」なんて声をかけてもらいとても嬉しかったです。
〇周りに頼る
私の場合、実家に帰らずに出産したので頼る人がパパだけでした。
一時保育や子育て支援センターを活用したり自治体の制度を積極的に活用しておくべきだったと今思えば感じます。
一時保育を使って美容室に行ったり、子育て支援センターでママ友を作ったり、自治体制度を使って家事を手伝ってもらったりと頼る場所はいっぱいあったと思います。
これが私の産後うつになった経緯から回復に至るまでの体験談です。
この記事を読んだママが少しでもゆったりとした気持ちで笑顔いっぱいの育児が出来ることを願っています。
最後まで読んでくれてありがとうございました。